道明寺天満宮
所在地 | 大阪府藤井寺市道明寺1-16-40 |
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位置 | |
主祭神 | 菅原道真、天穂日命、覚寿尼 |
社格等 | 郷社 |
創建 | 伝・垂仁天皇32年 |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道58番(大阪17番) 菅公聖蹟二十五拝 |
例祭 | 梅花祭(2月25日) |
主な神事 | うそかえ神事(1月25日) |
道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)は、大阪府藤井寺市道明寺に位置する神社である。
梅園 |
梅園 |
神宝陳列館 |
概要
祭神は菅原道真公、天穂日命と、菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公である。
隣接して道明寺という真言宗の尼寺がある。
この地は、菅原氏・土師氏の祖先に当たる野見宿禰の所領地と伝え、野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社があった。仏教伝来後、土師氏の氏寺である土師寺が建立された。伝承では聖徳太子の発願により土師八島がその邸を寄進して寺としたという。
平安時代、土師寺には菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公が住んでおり、道真公も時々この寺を訪れ、この寺のことを「故郷」と詠んだ詩もある。延喜元年(901年)、大宰府に左遷される途中にも立ち寄って、覚寿尼公との別れを惜しんだ。道真公遺愛の品と伝える硯、鏡等が神宝として伝わり、6点が国宝の指定を受けている。
後に、道真自刻と伝える十一面観音像を祀り、土師寺を道明寺に改称した。天暦元年(947年)のことという。
道真ゆかりの地ということで、道明寺は学問の神としての信仰を集めるようになった。明治の神仏分離の際、道明寺天満宮と道明寺を分け、道明寺は道を隔てた隣の敷地に移転した。
現在も学問の神として地元の人々に親しまれている。また境内には80種800本の梅の木があり、梅の名所として知られているとともに大阪みどりの百選に選定されている。
文化財
国宝
- 菅公遺品
- 青白磁円硯(せいはくじえんけん)
- 銀装革帯(ぎんそうかくたい)
- 玳瑁装牙櫛(たいまいそうげくし)
- 伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)
- 犀角柄刀子(さいかくつかとうす)
- 牙笏(げしゃく)
以上、唐時代または平安時代初期
重要文化財
- 笹散双雀鏡・笹散蒔絵鏡匣(鎌倉時代)
その他の文化財
- 天神縁起絵扇面貼交屏風 (室町時代)(藤井寺市指定文化財)
- 漆皮鏡筥 (平安時代)
- 漆彫丸匣 (江戸時代)
- 櫛箱 (江戸時代)
- 蒔絵螺鈿鏡筥 (江戸時代)
- 道明寺絵図 (江戸時代)
- 太宰府天満宮絵図 (江戸時代)
- 渡唐天神画像 愚極禮才賛(伝・雪舟筆)
- 脇差 銘秀光(大阪府指定有形文化財)
- 天神縁起絵巻 (江戸時代)
- 文字絵渡唐天神像 (桃山時代)
- 石燈篭 (鎌倉時代、桃山時代〜)
- 河内国府遺跡発掘品
境内
- 御本殿(本殿・幣殿・拝殿) - 延享2年築、檜皮葺
- 能楽殿
- 神牛舎
- 神門
- 宝物館 - 明治35年築
- 修羅保存庫
- 展示している修羅は、昭和53年に三ツ塚古墳(道明寺6丁目)の出土品を西岡常一ら宮大工の手で復元したもの。この修羅は同年9月3日に、朝日新聞社や考古学などの専門家によって、市内の大和川河川敷で巨石を乗せて牽引する実証実験に使われた。
- 釈奠(孔子廟)
- 庭園
- 天寿殿
- 明治天皇行在所
- 大成殿
- 絵馬堂
- 元宮土師社
- 白太夫社
- 霊符社
祭神:天之御中主神
- 白光社
- 八嶋社
- 稲荷社
能楽殿 |
神門 |
修羅保存庫 |
天寿殿 |
白太夫社 |
霊符社 |
稲荷社 |
石燈籠 |
注連柱 |
狛犬 |
撫で牛 |
さざれ石 |
行事
- うそかえ神事(1月25日)
- 菅原道真公が左遷先の大宰府に到着した神事の際、襲来した無数の蜂を一群のうそ鳥が飛来して蜂を食い、人々を救ったという故事による。参拝者たちが授与された「うそ鳥」の入った袋を交換しあう。
- 菜種御供大祭(3月25日)
- 河内に春を告げる神事として、菜の花が供えられ稚児行列が行われる。また、梅の形をした菜種色の団子が参拝者にふるまわれる。大宰府への左遷の詔を受けた菅原道真公が道明寺に立ち寄った際に、おばの覚寿尼公が道真公のために菜種色の団子を作った故事による。